コンサルは、いつの間にか誰も指摘してくれなくなる|“沈黙のレビュー”という罠と、私なりの対策

13〜19分

リード

自分の作った資料が、レビューでスルスル通っていく。指摘ゼロ。「お、いい出来だったのかな」と、ちょっと気持ちよくなる。私自身、コンサルの世界に入って何度か、この感覚を味わいました。

でも、あるとき気づいたんです。あれは「良かった」んじゃなくて、ただ「指摘されなかった」だけかもしれない、と。この記事は、コンサルという仕事に潜む「だんだん誰も指摘してくれなくなる」という地味な、でもけっこう怖い罠について書きます。半分は自分への戒めです。

コンサルは、いつの間にか「指摘されなくなる」

コンサルとして数年やっていると、不思議なことが起きます。まわりが、だんだん指摘してくれなくなるんです。資料の粗も、ロジックの穴も、口に出されないままスルーされていく。

これは自分の品質が上がったからではなく、多くの場合、周囲の力学がそうさせています。理由は、たぶん2つあります。

「コンサルの言うことは、正しいんでしょ」という空気

ひとつは、「コンサルが言っているんだから、正しいんだろう」という思い込みです。とくに事業会社の方や、他部署の人からすると、コンサルは「わざわざお金を払って呼んでいる専門家」。

その専門家が出してきたものに、「これ、間違ってないですか?」とは、なかなか言いにくい。相手が悪いわけではなく、肩書きや立場が、無言のうちに指摘のハードルを上げてしまうんだと思います。

「わざわざ食ってかかるの、面倒くさい」という力学

もうひとつは、もっと身も蓋もない話で、「反論するのが面倒くさい」という力学です。指摘するには、こちらもロジックを組み立て、相手の反応に備え、場合によっては言い合いになる覚悟がいる。

「まあ、大きくは外してないし、いちいち言うほどでもないか」。そうやって、小さな違和感が飲み込まれていく。人間として、すごく自然な反応です。だからこそ、根が深い。

結果、「対等に話せる人」のレビューまで、素通りしてしまう

この2つが積み重なると何が起きるか。本来なら気づいてくれるはずの、対等に議論できる人のレビューまで、指摘なしで通過してしまうんです。

そして穴が残ったまま話が進み、最終的に、いちばん指摘してほしくなかった役員クラスから、いちばん痛いかたちで指摘をもらう。「なんで誰も途中で気づかなかったの?」と。実は、途中の誰かは気づいていたのかもしれない。ただ、言わなかっただけで。

念のため書いておくと、これは「まわりが悪い」という話ではまったくありません。指摘されにくい立場を作ってしまっているのは、たぶん自分の側でもある、というのがこの記事の出発点です。あくまで私が自分を振り返って感じたことなので、ひとつの見方として読んでもらえたらと思います。

この状況が、地味に怖い理由

「指摘されない」の何がそんなに怖いのか。それは、問題が見つかるタイミングが、どんどん後ろにずれていくからです。手前で拾えば5分で直る誤りが、役員報告の場まで残ると、資料の作り直しだけでは済みません。

「この人の出すものは、ちゃんと確認しないと危ない」という評価まで生んでしまう。コンサルにとっての信頼は、アウトプットの正確さの積み重ねです。一度「要チェック人材」の目で見られると、それを覆すのは、正直けっこう大変です。だから、指摘の「沈黙」は、放っておくと静かに効いてきます。

対策①:そもそも「指摘不要の品質」を、自分で担保する

じゃあどうするか。方向性は2つあります。1つ目は当たり前ですが、「言ってもらえる」という甘えを、そもそも捨てることだと思っています。誰も指摘してくれない前提に立って、他人のレビューを「当てにしない」品質を、自分ひとりで作りにいく。私はこんなことを意識しています。

自分で、自分に食ってかかる。まわりが面倒くさがって言わないなら、その役を自分でやるしかない。提出前に、いったん敵側に回って「ここ、突っ込むならどこ?」と自分の資料を殴ってみる。

数字の出どころ、ロジックの飛び、「それってあなたの感想では?」と言われそうな箇所。いちばん痛いところを、他人より先に自分で見つけておく。これができるだけで、通過率ではなく「中身」が変わります。

「一晩寝かせる」か「他人の目でもう一度読む」。作った直後の自分は、いちばん粗が見えません。時間を空けて読み返すか、あるいは「これを初めて見る人」になったつもりで頭から読む。それだけで、昨日は見えなかった穴がぼろぼろ出てきます。

指摘してくれる他人がいないなら、時間を置いた自分を「他人」として使う。地味ですが、効きます。

対策②:それでも、「指摘しやすい雰囲気」を自分から作る

とはいえ、自分ひとりのセルフチェックには限界があります。人は自分の盲点は見えない。だから2つ目は、①と矛盾するようですが、「指摘してもらえる自分」で居続ける努力です。甘えは捨てる。でも、指摘の口は開けておく。この両立が大事だと思っています。ポイントは、指摘のハードルを、こちらから下げにいくことです。

先に「まだ粗いので、遠慮なく殴ってください」と言う。完成品として堂々と出されると、相手は指摘しづらい。逆に、「叩き台なので、違和感あったら全部言ってほしい」と最初に宣言するだけで、相手の心理的ハードルは一気に下がります。「面倒くさい」を感じさせる前に、こちらから場を開いておく。

指摘されたときの「最初の反応」を、絶対に間違えない。ここがいちばん大事だと思っています。せっかく言ってくれたのに、反射的に「いや、それはこういう理由で」と防御に入ると、相手は「あ、この人には言っても無駄だ」と学習して、二度と言ってくれなくなる。

まず「ありがとうございます、たしかに」と受ける。指摘は「攻撃」じゃなくて「ギフト」。この反応を徹底するだけで、指摘は集まってくるようになります。

「どう思いました?」を、こちらから聞きにいく。黙って待つのではなく、「ここ、ちょっと自信ないんですけど、どう感じます?」と自分から弱みを開示して聞く。人は「助けを求められた」と感じると、ぐっと口を開きやすくなる。指摘を「待つ」のではなく、「取りにいく」感覚です。

この2つは、片方だけだと崩れる

最後に。この①と②は、どちらか片方だけだと、たぶんうまくいきません。品質へのこだわりだけを突き詰めると、「自分は完璧だから指摘は要らない」という傲慢さに転びやすい。逆に、雰囲気作りだけに頼ると、結局「言ってもらえるから大丈夫」という甘えに戻ってしまう。

「指摘されない品質を目指しつつ、それでも指摘してもらえる自分でいる」。この一見矛盾した両輪を、同時に回し続けること。それが、「沈黙のレビュー」に飲み込まれないための、私なりの答えです。えらそうに書きましたが、これは全部、自分に向けて書いています。

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